Kitは2012年に雑貨商として開店しました。
キットとは素材、パーツ、そしてそのセット。
ものを通して気になる”何か”を引き出して、今まで多くのテキストを書いてきました。
作家と開催した展示や企画から生まれた10のキーワード(A面)、そして裏のテーマ(B面)を振り返り、記録として残します。
ひとまず、草稿とします。
目次)
Side A
1.
幸福のハンカチ
大滝郁美 (染織物)
凍てつく冬のなか、太陽の光のように明るく射す色を織る。スウェーデンで染織物を学んだ大滝さんならではの、大胆な色の取り合せ、複雑な図案が目を惹く。彼女の故郷・庄内地方にも藍染め、紅花染め、紬、絣といった染織物があるが、スウェーデンと庄内のフォークロアを掛け合わせたようなニュアンスを感じている。
染織物の入門編として「ハンカチ」がある。それはテキスタイルの魅力が濃密に詰め合わせにされた、絵画のような小作品。そのままスカーフにしても良いくらいの色と図案のミニチュア版とお考えください。ポイントは、携帯していることを忘れるほどコンパクトであること、速乾性があること、吸収性が高いこと。そして一番大切なのは、食事をする時に膝に掛けれるくらいのサイズがあること。毎朝、1枚の綺麗なハンカチをおろす。誰にでも訪れるそんな瞬間が、小さな芸術とともに始まったら最高だと思う。
略歴)
大滝郁美 OTAKI Ikumi
山形県出身。スウェーデン、ダーラナ地方にある手工芸学校で3年間、現地の文化や自然の中で大切に受け継がれてきた、伝統的な織物や手工芸を学ぶ。
2.
ポケットマフラー
hou homespun (ホームスパン)
ホームスパンとは羊の原毛を洗って、紡いで、糸にして、時には染めて、織って、縮絨した織物のこと。勿論すべて手作業。意外と織りたてホヤホヤはペラっとした布になるが、それを揉んだり踏んだりすると絶妙な匙加減でふっくらする。まるで空気ごと織られた糸が、羊として再び立ち上がるみたいだ。さまざまな品種をブレンドしたり、カシミヤやシルクを引き揃えることもあるが、経験と感覚で絶妙な1枚に仕上げている。
ホームスパンの空気のような軽さ、それに反比例するような暖かさを感じることが出来るのが「ポケットマフラー」だ。卵1個分ほどの軽さで、ポケットに丸めて入れて出かけても存在を忘れてしまうほどコンパクトで軽いのに、しっかり暖かいという魔法がかかっている。なんてコスパが良いのだろう。制作にかかるタイパは最悪なんだけれど、だからこそ感じられる軽やかさだと思うのだ。
※ホームスパン
home(家)spun(紡ぐ)の名の通り、家畜である羊の毛を刈り取り、その原毛を自宅用に紡いで織ったことがはじまりとされる。糸を織ると1枚の布になるが、ホームスパンの場合は織ってから縮絨することによって更に繊維が空気を含み、ふっくらと起き上がる。
略歴)
上杉浩子 UESUGI Hiroko
旅行や暮らしにまつわる雑誌・書籍の編集/ライターとして活動する傍ら、2006年より東京・清野工房にて清野詳子氏に師事。ホームスパンを学ぶ。2010年恵文社一乗寺店ミニギャラリーにて初個展。以来、場所をKitにうつし、年に一度のペースでホームスパン作品の展示会を行う。
3.
数モノ
志賀裕昭 (乾漆)
乾漆は木の素地を使わず、石膏型でかたちを成形し、麻布を糊漆で貼り重ねて素地を作っていく。それは木の素地では難しいフォルムの薄さ、柔らかさが特徴的だ。表面的な漆の層が薄く、引き締まっているから落としても衝撃が少なくて漆が割れにくいという特性がある。紙のように軽く薄いが、繊細な印象に反してとても強い。漆は縄文時代から使われていて、遺跡から出る漆仕上げの発掘品は驚くほど状態が良いと言われる。そして傷や割れを接着して内包するから、すべてを上書き出来る。古くからある素材だけれど、自然物なのに「残る」し、塗り「足せる」し、「塗装」としての機能はすごくイマっぽい。流れる樹液が立体をつくる。今までは漆のテクスチャー、つまり表面ばかり見ていたけれど、大事なのはそこでなかった。
重要文化財を修復する漆の仕事を生業にしてきた志賀さんだが、プラスチック的に便利な漆を工芸やアートと切り離して、もっと現代的なプロダクトとして表現している。目指すは日常に浸透している数モノ。だから型を使い、同じかたちを複製することにこだわっているのだが、型から外す際に石膏型を割らねばならない。つまり、ひとつにつき使い捨ての型がひとつ必要になるのだから数モノにはほど遠いのだが、石膏しか出せないニュアンスがあると彼は言う。
略歴)
志賀裕昭
1979年 福島県いわき市生まれ
2006年 東北芸術工科大学大学院漆芸修了
2008年 目白漆芸文化財研究所入社
2012年〜祐天寺寺宝(漆工品)修理室勤務
文化財修理に従事
2023年 福島県いわき市にて独立
4.
BANANA TIME
柴田有紀 (ガラス)
試しに使ってみるか、と初めて注文したのはごくごく普通のコップ。持ち応えがあって、口縁の厚みや丸みがちょうど良く気に入った。京都の軟水、それも常温は柔らかくて優しい。そういう繊細な揺らぎには、普通のガラスコップがよく似合う。好きで使っている、ほとんど特徴の無い昭和初期の吹きガラスにも通じる感覚。それは突き抜けた普通。とにかく余計なものが一切なくて気持ち良い。何もないって自由なんだ。ゆらゆら揺らぎながら平熱のバランスを探っているようにも見えるけれど、その中にうぶな硬い芯みたいなものを感じた。
ある日、工房でパート・ド・ヴェールのBANANAを見つけた。ガラス粉末を石膏型の中で熔融して成型する技法で、吹きガラスとは違って、制作途中に素材を手で触ることが出来る。そのせいだろうか、美学生がスケッチする静物画のような佇まいを感じていて、より自分らしい”かたち”に向き合っている気がする。
BANANAはシンプルでありながら、一目見て誰もが認識できる完璧なかたちだと思う。彫刻的なパート・ド・ヴェールのかたちを逆に吹きガラスに持ち込んでいただき、色、サイズ、テクスチャーはバラバラのテストピースのような詰め合わせ・バナナの色々を作っていただいた。そして、それをBANANA TIMEと呼ぶことにした。
略歴)
柴田有紀 SHIBATA yuki
1993 神奈川県生まれ
2017 武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科ガラス専攻 卒業
2017 同校 教務補助員
2018 秋田市新屋ガラス工房 勤務
2021〜現在 武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科ガラス専攻 助手
5.
光のあるところに影がある
アーノルド・ギルバート (写真)
アーノルド・ギルバート氏ことアーニーとは1990年代の終わり、シカゴで会った。彼は有数の写真コレクターでありながら、自身でも”フォトグラム”という表現方法で作品を制作してきた。それはカメラやフィルムを使わず、暗室の中で創り出される。印画紙の上に物や材料を直接置き、そこに光をあてて焼き付けるのだ。透かしたり、多重露光で様々な角度から光をあてることで豊かな色調・positive / negativeの空間というような、別の効果を生み出す。その結果としてのイメージ(作品)は唯一の”一つしかないもの”という点において、非写真的である。
90年代になると自らのフォトグラム作品をポラロイドに取り込み、複製した。それらは光によって生成された像を物質的な操作によって定着・変容させた作品で、一般的な写真ではなく版画のように見る人も多いだろう。彼の試みは、生涯を通してカメラで真実を写すことではなく、光の形成とその造形ー感光物体そのものと無邪気に戯れることだった。光があるところに影があり、私たちはそれらが織り成す像を見ている。だから、カメラは光を写す機械であると言って良い。
彼の作品は一般的な写真とは違い、非常に良く計算され、簡潔化された理念と美意識によって支えられている。亡くなるまで、積み重ねるように創られた膨大な作品数があり、発表する目的は無かった。長い遊び=量が多い、ということに価値があると感じている。そこには物語や時間の概念も無いのだが、写真は光であるというシンプルな事実が残されている。
略歴)
Arnold Gibert(1921 - 2001)
1921年ニューヨーク生まれ。
シカゴ大学卒業。
高校・大学時代を通じ、写真制作に対する興味を広げ、1960年代の終わりにアーロン・シスキンドとアーサー・シーゲルに出会い、表現としての”フォトグラム”の可能性を追求し始めた。また同じ頃から写真のコレクションを始め、ギルバート夫妻のコレクション(Arnold and Temmie Gilbert Collection)はアメリカでも有数のコレクションの一つとなっており、京都近代美術館には1000点を超える作品を寄贈している。
6.
火星へのアプローチ
MAISON GRAND’AILE (古物)
はじめてMAISON GRAIN D’AILEの扉を開けたのは、2000年代半ばの頃だと思う。神戸の古いビルディング内にある小さな一室に、フランスで買い付けられた古くて美しいものが並べられていた。そこに広がっていたのは、まさにCabinet de curiosités / キャビネ・ド・キュリオジテ(和訳:驚異の部屋)の世界観であり、部屋の隅に佇んでいた磁器人形のような店主の存在は、作品の一部のように印象に残った。
キャビネ・ド・キュリオジテはルネサンス時代に始まった、剥製、鉱物、植物、昆虫、貝殻、骨など自然物を中心に人工物も分け隔てなく収集した、珍しいものを並べる展示形式で、博物館の原型とも言われる。人工物というところでは、「ユニコーンの角」のような実在しないものの存在が信じられ、本物と称して贋物が陳列されたりしていたそうだ。目に見えないものを見ようとする人間の想像力は、また別次元の新たなものを生み出す。MAISON GRAIN D’AILEが表現する世界には、現在から過去を見る/過去から未来を見るような、不思議な時間軸が出来ていた。フランス、ヨーロッパだけではなくアジア諸国、日本の古物も並列されていて、特に日本のものは逆輸入されたような感覚で対面することになり、そういう意味でも新しく目に映ったものだ。私はそこで初めて古伊万里の白磁猪口をいくつか購入し、今でも愛用している。
大阪・北浜時代を経て、琵琶湖のほとりに建てた住まい・アトリエはギャラリーを暮らしの中に昇華させた場所で、現在も増築・改修工事が続く。開業から25年が経って、フランス現地に買い付けに行くことは少なくなり、改めて日本美術への思いが募っているという。今では私も同業者として二人を訪ね、たびたび対話しているのだが、目下、未来は火星に移住して骨董屋を営んでいるイメージだそうだ。いつか、これぞという品々を抱いて渡り、火星人を驚かせたい、そんな話をしてくれた。ユニコーンの角を思い描いた、先人の夢のようではないか。いつか誰かが見た夢は我われのものでもある。私がずっと感じていたのは、よく形容されるであろう重厚で静謐な世界観ではなく、膨大な量の収集物や時間の重さを突き抜けるような、圧倒的な軽やかさ。火星人が驚くところを一緒に見たい…そんな話をしながら、グランデールとは、浮遊する種子=とても軽い、と言う意味であることを思い出していた。
略歴)
MAISON GRAIN D'AILE
HARADA Shinsaku, HARADA Maki
2000年
メゾングランデールとして活動を始める。主にフランスを中心に世界中から美しい・古いものを収集しコレクション展を発表。当初から表現してきた、貝や鉱石・標本などキャビネ・ド・キュリオジテやシュールレアリスムなどの要素を含む古美術の世界を制限した色彩・物語性のある構成を用いて独自のスタイルで確立。
2015年
住まいとアトリエを琵琶湖のほとりに移し、MAISON GRAIN D'AILE の家をデザイン・建築。
大阪・北浜にて、より本質的なオブジェを紹介するGALERIE AU BOIS - ギャルリ・オーボワを2018年12月末まで運営したのち、現在はオンラインストアにて販売を続けている。
7.
生の傷跡をパッケージ
小松未季 (彫刻)
制作は素材を選ぶところから始まる。板ガラス、割れた蛍光灯、ビー玉、ネジ、砂、粘土細工など。自身が制作したものもあるが、ほとんどが棄てられていたものだという。
板ガラスに別の素材を合わせ、焼いて一つにする。そうすると、取り込まれて一体化するものもあれば、変形したり、割れることもある。素材同士が内包しても、相反しても「泣き笑い」と表現し、どちらも自然な姿だと捉える。『呼気』という最初に吹いた息のかたち・空気をガラスに閉じ込めた小作品があるが、作品と作家との間に少し距離があり、ある程度のところで手放して現象としてかたちを留めているようで好感を覚えた。それぞれの異分子が透明の膜に包み込まれ、熱と圧力に拮抗しながら耐えている姿は生々しくもあるが、繊細で儚いからこそ美しい。その歪な姿は光を通すことによって、かつて存在していた生と死の傷跡を明らかにする。
略歴)
小松未季
1997年 京都府生まれ
6歳より神奈川県藤沢市で育つ
2022年武蔵野美術大学造形学部工芸工業デザイン学科ガラス専攻卒業
2024年同校大学院造形研究科修士課程美術専攻彫刻コース修了
8.
熱量で焼くうつわ
壷田和宏 亜矢 (焼きもの)
壷田さんが住む高千穂・黒原(くろばる)の原土(げんど)を粘土にし、炭化焼き〆した作品がある。採掘した原土は白粉のようにキメが細かく白いけれど、焼くとグレー、ブルー、ピンク、ブラウンなど様々なグラデーションが出て、恐竜の卵のような斑点や貫入が入る。炭化は土に含まれる酸素を完全に奪ってカラカラにするということらしいが、窯の中を圧力鍋のような状態にすると言えば分かり易いだろうか。通常より3倍の薪を使って、温度というよりは高い熱量で焼く。そうすることで石のように締まった、硬い焼きものが出来上がる。
黒原原土だけでなく、天草白磁、唐津、伊賀、 猿投(さなげ)、耐火土なども使って、丸っと同じ窯で焼いたりもするのだが、粘土にすると性質がかなり違うので、特性に合わせて成形する。そこに決まりは無く、即興の音色、実験音楽みたいだ。特に原土を炭化で焼くのはリスクが高く、割れたり変形することも多い。不揃いだけれどそれが自然な流れだし、自由だ。作品が届いて段ボールを開封する時、いつも高千穂の空気を感じている。それは土付きで収穫された健康な農作物(オーガニック)そのままだなあ、と。
略歴)
壷田和宏 亜矢 / TSUBOTA Kazuhiro,Aya
1972年
和宏 三重県伊賀市に生まれる
亜矢 愛知県安城市に生まれる
1995年
愛知県芸術大学陶磁器専攻科卒
愛知県長久手市に登窯を築窯
2000年
三重県伊賀市融栗谷に穴窯築窯
2009年
宮崎県高千穂五ヶ所に登窯築窯
2011年
同地に穴窯を築窯
9.
普通は未来にある
中本純也 (焼きもの)
初めて会ったのは2012年。それ以前に15年ほどは南蛮を焼いていたが、ちょうど穴窯を登窯に改窯し、すべてを一新した頃だった。紙幣が無い時代、人が生きていくために焼いた南蛮は雑器中の雑器であり、交易や社会と繋がる手段でもあった沖縄のパナリ焼のイメージが根底にある。ある種の挫折のような経験を経て焼きものを辞めようと思っていた頃、磁器と土ものの間のような李朝白磁に出会い、柔和で自由な姿に感銘を受けたという。そこから作品は白磁一本になったが、重くて、柔らかくて、揺らぎがあり、果てしなく南蛮土器に近い。
シンプルなかたちとプレーンな白は意外と空間を選ばず、どんな風景にも馴染んでくれる。普通で良いなと思うと同時に、いや普通では無いとも思う。「普通とは何か?」聞いてみると、すぐに「普通は未来にある」との回答。心の中にあるイメージや感覚はつかむ事は出来ない、彼方にある一筋の光のようなものだ。これさえあれば良い、という”宇宙食器”や”カプセル”という作品は、タイトルに作者から発信されたメッセージを唯一含んでいる。過去の思い出や未来への希望をすべて包み込んで、抱えて飛び立つ人類の行き先は、やはり火星なのだろうか?
略歴)
1998年 和歌山県龍神村へ薪窯を作るため移る
2011年 焼締から白磁の器に
10.
S・F盆
大矢拓郎 (木工)
ふらりと訪れてくれたのは5年くらい前。小さな我谷盆や拭き漆のお盆など、手刳りの作品をいろいろ持って来てくれたことを思い出す。例えるならば、どこかの古民芸店に入って偶然に見つけたような、無記名の木工品のようだ。背伸びしすぎな等身大の姿に近い気がして、自然とやり取りが始まった。
我谷盆のような、木の塊にぶつかっていくような仕事を好み、荒彫りをしたあとカンナやノミを使う。「駄作でも、たくさん手を動かしていた方が良い」と言うだけあって、これまで多くの習作を見てきた。我谷盆に憧れて木工の道に入ったという事もあって、原点である手刳盆に力を入れているのだが、特に印象的な作品を二つ。一つはノミ目が破壊的に素晴らしい、松の讃岐盆。時間とともに、松脂が全体的に馴染んで艶が出てくる。もう一つは生漆(きうるし)仕上げの栃の藤原盆。拭き漆以上・溜め塗り未満で、木目を生かさず殺さず、うっすらと奥に木目を感じる程度に塗り重ねて黒漆の佇まいに近づけている。
古いもの、美しいものへの憧れ ー その眼差しがうつし変える新しい色かたち。時代や地域は異なるが、木をかたちづくる感触自体は今も昔も同じであり、手で削った感覚を大事にしている。ただし忠実なトレースではない、念の為。ということで、それぞれS盆、F盆と現代的に記号として表記していくことにした。
略歴)
大矢拓郎 / OYA Takuro
1986年 誕生
2012年 京都伝統工芸大学校木工芸専攻卒
2012年 佃眞吾に師事
2018年 亀岡にて独立
Side B
1.
数モノ
瀬戸には戦前から輸出用や航空食器としての白磁を焼いた窯元が多く存在した。50年代までは軽油窯を使っていたから鉄粉が入っていたり、焼きムラがあったりと個体差が大きい。工業製品くらいに精巧だけれど、少しの不均衡さがあるのが良い。特に卵の殻くらいカリっと極薄の「卵殻手」が好きで、久しぶりに見つけた時は大量に買い占めた。専門集中的にこの手のものを焼き上げてきたであろう、熟練の職人技に惚れ惚れする。これぞ数モノ。数は力だ。
2.
ちょっと、古いもの
中途半端に古いものには価値が付け難い。ちょっと前のものは古臭いものとして扱われ、忘れられるくらい時が過ぎた頃には目新しいものになっている。そうして歴史は繰り返されるのだろうか?見たことがないもの=新しいものだとすれば、古ければ古いほど新しく、ちょっと前に見たものは古いという変な時間軸が出来る。
骨董市に行くとついつい買い付けてしまうのがアクセサリーやがま口財布。何より金具部分が全然違う。金物は安全面を考えて、使用感が出ないように仕上げているのだろうが、必然的に味気は無くなる。ものも人と同じで、変化したり壊れたりするから面白いのだけれど。
3.
珍品名品
その時代と場所だからこそ生まれるものがある。それは不安定な世の中、過渡期に生まれる。例えば1950年代の朝鮮戦争時代に作られた電話線(ピッピ線)カバンやバスケット。戦時下の人手・物資不足により、自然素材の代わりに廃材を引っ張ってきたものだそう。
そして1930〜40年代の石油コンテナ。ハングルと英語表記の文字のバランスが最高である。名産の赤松を使い、重油や軽油を積んでニューヨークやフィラデルフィアを行き来したコンテナだ。戦後にこのラインが廃止された後、幼い少年家長たちがコンテナに靴磨きの道具を入れて、街へ稼ぎに出たそうだ。バンダチ(収納箱)になるように金具を付け替えてリメイクしているのもニクイ。子どもが持つには大きく重たい商売道具だが、かつてそうした時代があったことを記憶する近代の遺産でもあるのだ。
4.
気に入らないものは塗りつぶすに限る!
世の中、気に入らないものが多すぎる。すべて無かったことに出来ないか?よくそう思う。部分的な汚れが気に入らない、色や素材が気に入らない、そんなものはすべて塗りつぶすに限る!そうすると、かたちがもっと前に出てものが良く見えるようなって安堵する。気に入らないものは塗りつぶすに限る。
5.
Think pink
Think pinkには英語で「前向きに考える」という意味がある。もともと人を元気にしてくれるような温かい色のイメージを抱いており、言語がもたらす独特のニュアンスも相まって、好きな色のひとつである。
先日、染色家である友人に協力してもらい、紅花染めを体験した。紅花は生薬でもあり、血行を促進させる作用があるから触っていると手のひらがポカポカして幸せアップ。花びらを水に浸けて揉み出すと、まず黄色が出てきて、その色素が抜けて抽出されると奥にある紅色を引き出すことができる。最初の黄色もとても美しいのだが、色が定着しづらい。それはあくまでpinkのための黄色なのだ。
6.
アルミニウム礼賛
軽やかなアルミニウムの色が好きだ。金属の中では歴史が浅く、1900年初頭から工業の発達、特に戦争需要で兵器開発とともに成長した背景がある。ブロンズの気高さや鉄のような重厚さは無いが、高強度でありながら軽量であり、風合いは出るが錆びないという点でも手軽かつ現代的で、最も好きな金属である。
7.
ままごと
例えば、持ち手の無い急須に丁度良い手がかりを付ける。裸の人形に似合う服を着せる。古いデミタスカップに合うソーサーを合わせる。素材としてものを見ると、足りない箇所に奇跡的にフィットする出会いがあるから、商品として不完全でも捨てられないものが多い。ある人から「ままごと的」であると表されてから意識するようになった。つまりパーツとパーツを組み合わせてセットにしたり、自分だけのお誂えをすることだと思うのだが、店そのものが箱庭のようなもので、特に意味は無いというのが良いと思っている。
8.
副産物としてのポジャギ
ポジャギは韓国語で「お包み」。ちなみに、表裏のない袋縫いでパッチワーク状に布を合わせていくことをチョガッポと言う。お包みのサイズは90cm角くらいのものが多いが、その多くは箪笥の代わりに布団や洋服などを包んで保管しておく目的で使われていた。そして布は洋服や下着を縫製したあとに残る端切れを使う。当時は小さな布も貴重で、やむを得ず小さなものを大きな1枚にする ー 余りものを美しいものに変えていた。 今まで素材は宁麻、大麻、綿、シルク、レーヨン、ポリエステル、染色は藍染め、墨汁染め、イカ墨染め、クチナシ染め、顔料染めなど様ざまな素材のポジャギを扱ってきた。韓国テキスタイルのすべてが1枚の中に詰まっていると思うのだが、それらは暮らしの副産物として生まれるのが本質だと思っている。
9.
顔、口、手、足、そしてドール
なぜか人形やモチーフとしての人体のパーツに惹かれる。出来るだけバラバラになっている方が良い、怖くても良い。しかし品が良くなければならない。
10.
ケミ子
Chemi子(ケミ子)はケミカルの略。プラスチックは1950年代から普及し始め、60年代には新素材として一世を風靡した。その良さは軽くて、可朔性があり、自由自在にかたちを変えられる上にカラフルで楽しい着色が魅力だった。プラスチックと一言で表しても、そこには歴史があり成分も様ざま。より硬くて丈夫なプラスチックより、自然由来の成分を含んだ初期の樹脂の方が脆くて壊れ易いけれど好みだ。ガラスや石や陶器に見えるものもあり、そんな良い風合いのものからセルロイド、ビニールなど地球に悪そうな素材を一同に集めたイベントを開催したことがある。その名がケミカル大好きっ子(略:chemi子)。結果、一つ一つのものは面白いものの美しくは見えなかった。ケミ子ばかりだと面白くなく、それはモノクロ的な世界に1点差し込まれるからこそ見えてくる。ということでこの企画は2回で打ち止めになってしまった。
